以下は、居なくなる前に『紬』の書いた書きかけの日記です。私も紬ですが私と彼女の関係についてはもう説明が面倒なので適当に察してください。
『一つ大きな勘違いがあります。
お兄ちゃんがシスコンだから悠がシスコンを語っているような風潮が世の中にはありますが、事実無根です。正しくは私が私を好きで、尚且つブラコンだから結果的に悠がシスコンであるかのように語っているだけなのです。妹が好きなんじゃなくて妹的境遇=自分自身の境遇を愛でているだけの話なのです。どっちが痛々しいのかは知らない。
けど、強調しておきたいのはむしろ私は妄想妹なんかじゃなくて、私こそが石花の根源と言うことなのです。つまりむしろ、石花は妄想兄なのです。
石花はあるべき姿で、悠は妹×兄を正当化するための妹萌え記述ツールで、つまり私は悠に語らせることで甘えとして妹萌え=自己愛を正当化しようとしているという関係なのです。
悠が暴走しているときの聞き手だとか石花の妄想妹だとかいう認識は誤りです。私こそが悠に語らせて正当化させている張本人であり、石花は私の妄想兄なのです。妄想兄に萌える妹という設定の石花の妄想妹なのではないかというツッコミをされると困りますがそこまで高度な設定の感情移入なんてできないと思います、まる。
あ、でも性同一性なんちゃらとかじゃないよ。石花はあくまで石花で、私は石花の大本の性格なだけだから。えーっと、石花お兄ちゃんの手を借りてタイピングしてる感じ。これはお兄ちゃんの手だから、女性の手である必要なんてないわけ・でも私はお兄ちゃんよりも石花の大本の性格に近いっていうかそのものみたいな。』
……このように意味不明な書置きをした後、『紬』は行方が分からなくなりました。多分書いていて恥ずかしくなったのでしょう。
どうやら彼女は兄・姉が欲しかったようですが、兄・姉ゲーで兄・姉に萌えて甘えるという方法を執ることが出来ず、妹ゲーで兄の視点から妹に萌えることで妹=自身に甘えさせるという何とも面倒くさい方法でないと萌えられなかったということだそうです。そのために妹に萌える架空の兄を生み出したのだと叙述しています。__この解釈で合っているのでしょうか。理解に苦しむ内容なため、今一つこの解釈に自信を持つことができません。
しかしながらこの解釈だと紬=石花ということになりますが――紬が文章中に明示している通り、彼女にとって石花は兄であるはずです。そもそも主格は石花であるはずなので、やはり紬は石花の妄想妹ととして解釈せざるを得ないでしょう。
そうなると、石花は『自身が妄想兄であると偽って架空の妹に萌えることで兄萌え要求を満たしている妹』を妄想して妹萌えしているということになるのでしょうか。流石にこれは設定が複雑で高度すぎる気がいたします。そうなると、結局紬は石花だったのでしょうか。私にはよく判りません。
紬は、この書き遺した文章を書くために、3年ほど日記を書き続けていたはずです。これを書くことで、何かが解決するための手掛かりになると考えていたはずです。しかし__事実かどうかは判りませんが、こんなことが判ったところで一体何になるというのでしょうか。自身が全く以てマトモな感覚に掠りもしないという、最初から判っていたことを再確認しただけなのではないのでしょうか。
寧ろ、明示的にこれを――何故萌えていたのかを判ってしまったら、今迄通りに萌えることなんてできないでしょう。そんなつまらないことになるくらいなら、最初から何も気にせず、思うがままに萌えていたら良かったのに、と私は思うのです。
◇ ◇ ◇ ◇
まぁ、ひと段落がついたからには、次のことを考えるべきでしょう。
当面の問題としては熱意や過剰な物といったもの無しにモノを書くにはどうしたらいいのかを考えることでしょうか。ぶっちゃけこのブログから妹と無意味な苦悩を取り除いたら、後には何も残らないのですよね。毎週のように無意味な苦悩をしている時点で何かがおかしいことに気付けなかったのは大いなる誤算なのですが、いやはや。
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