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最近、色々なことが判らない。
解らないことなら短い人生に幾らでもあったけれど、それはあくまで今までの先にある未知の領域という解らなさであって、どうすればよいかの検討はついているものだった。
今問題になっていることは、何をしなければできなければならないかということは知覚できるけれど、どうすればいいかが見当つかないこと、どうやってどうすればいいかを見つければいいかの見当がつかないこと、どうすればいいのかのアタリはついても生きている間にできる気がしないこと。
相も変わらず、っていうか今まで以上に、他人に聞いたところで答えが期待できそうにないこと。質問したい文章は存在するが、その言語はあまりに私の言語で書かれているため伝わらない文章であり、それが翻訳できるのならばその時点で問題はほとんど解決する問題。
■もう少し淡々と、メモ書きチックに纏めたいのだけれどな。質問したいわけでも懺悔したいわけでもなく、今の状況を整理して纏めたい。
最近漸く自分が日本語をしゃべっていないことを実感として理解し始めているので、今までの自分の疑問を日本語に翻訳する必要と他人に示されたことを私の言語に直す必要が出ているといった状況。
■↑この文章の時点であまり日本語じゃないけれど……難しい。
問題は、今からネイティブになれるのかとかそんな感じ。
あるいは、本当にできないことでもできるようになるのか、みたいな。
説明を聞いた時に、『あ、なんかこの説明が前提としていることを知らないな』ってなる、あの感じ。分かっていないことは判るんだけど、その前提が無意識なもの、感覚的なものだから説明している人には説明できない。だから聞いている側がなんとか自力で習得するしかない。
誰にだってあることだろうし、私もことあるごとにぶつかってきたことだけれど、こんなにたくさん未来永劫のように出てこられると、流石に疲れるよ。
■日記とは一種のポエムであるため、『日記』でなく『ブログ』への転換が完了しない限り、此処は黒歴史の継続的生産施設である。故に将来に備え一刻も早くの転換が求められるが、目下の障害に、黒歴史であることを認識しているものの実感が無いということが挙げられる。
疲れるというのは少し違うかな。うん、別に何かに、生きていることに、疲れてはいない。
むしろ私に立ちはだかっているのは、生きているだけで楽しすぎるってこと。しかも、それで――ただ生きたいように生きているだけで特に困りそうにないの点で性質が悪い。
生きているだけで楽しい。よくわかんないけど踊りだしたくなる。ふわふわしている。もう、他に何かしたいだなんて思えないくらいに。
■特に取って付けた文章ではないということが、性質の悪さを露呈させる。この論議は不要なのではないか。言語を修正することなく、正しい結果を遺すという解決が存在するのではないか。
……どうでもいいけど、アンタ誰だよ。
■提示する、という考え方が判っていないことが根本的な原因のように思える。それを欠いた状態で幾ら技法を学んでも無意味だ。その低い立ち位置からでは、全ての文章作法は技法に過ぎない。
あー、うん。そうそう。『感覚的に判んないとほぼどうしようも無いこと』が一番困るんだよね。あと誰にも同意してもらえない感覚的なこととか。それらが対立項だともうマジで何していいか判んない。や、何するかは判ってる。どっちかを選ぶだけ。選び方は判んない。
で。もっかい聞くがアンタ誰だよ。
■判断をするためには、自身がどの立ち位置に居るのかを把握しなければいけない。そして、判断するための視点を得なければならない。のか。しかしながら高み以外の場所から見渡すことは不可能であるから、結局は多少無理をしても高度を上げる必要がある。寧ろ、そういうものなのだろう(これは目算。)
シカト?それとも聞こえてないってこと?
聞こえないって、やだな。他の誰かなら別にまぁ仕方ないけれど、自分に声が届かないってもうどうしようもないよね。
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