論説文の基本その一、最初に結論を書く、ということらしいので、『議論が踊るのって話がずれてるからだよね?』が結論です。もち、双方が誠意をもって議論してることが前提だけど。
「いつのも調子だと結論にたどりつく前にエタるでしょうね。」
「話に入る前に悪いのだけど、議論の論議なんて語学者か何かがとっくの昔に延々とやってるはずよね。今更素人がなんか言ってどうするのよ。」
いや、雑記だから思ったこと、感じたことをしゃべるんよ?
「個人の体験談を根拠にした論説なんて信憑性説得力0よ。」
なんていうか、考えの一助になればいいかな、って程度だから何かの間違いで共感を持ってくれる人がいればそれでいいさね。
その1 『多義語の。』
やっぱり、紛糾するときって、
・AはBだろ
・いやAはCだろ
・・・ってことが多いと思うんよ。
「それって単に価値観の違いよね。踏み入るべきでないし、どうしようもないじゃない。」
必ずしもそうじゃないさ。Aが複数の意味を持っていたり、片方がAを広義で、片方が狭義で捕えてるだけ、ってことも多いよ。たとえば、『暴力は是か非か』ってことを考えると、
・否だ、身勝手に他人を傷つける暴力は道徳的に許されない
・是だ、抑止力として正常に働く装置としての暴力は存在が許されるはずだ
っていう二つの立場の人がいた場合、この二つの『暴力』の意味は違うよね。前者は他人への理不尽な攻撃を指していて、後者はどっちかというと単に力、武力、制圧力、抑止力的な意味だよ。この二人が是か非かだけ言ってたら、傍から見るともどかしいでしょ?
「前者は双方で一致して、後者についての議論になるのが自然そうな流れね。あんた、ちょっと右っぽいの?」
私の向きは置いといて。議題に関する認識がずれてるせいで、双方が同じことを主張し続けるこう着状態に陥るってことはよくあると思うの。特に、片方が広義でもう片方が狭義のことが多いかな。
「解決策は何かあるかしら。」
こういう時、大抵は片方は片方のことについて、とっくの昔に了解してることが多いよ。この例だと、多分後者の人は前者の言ってることはすでに了解済みだよね。
ちなみに、個人的な意見だけど、狭義の話をしてる人のほうは、大抵広義のひとの言ってることは了承済みだと思います。だから、
・自分が広い話をしていると思ったら、相手の定義をよく聞いてみる
・狭い話をしていると思ったら、相手の言っていることにいったん了解する(して、狭義の話に移る)
のが、『同じことを話してるはずなのにどうもかみ合わない』ときに気を付けると良いことだとおもいます。
「要は話を聞けと。」
そだね。なんだかんだで、熱くなったり、自分の話を通すことに精いっぱいになりがちだから、なんか同じ話が続いてる気がしたとき(『だーかーらー』みたいなセリフが出るときね。)相手が言っていることと自分の言ってることの齟齬を考えるのは大切です。
「結論にしては当たり前過ぎないかしら。」
当たり前のことができてないから、紛糾するんだよ。
そういうわけで、その1.同じことを話してるはずなのになんかかみ合わないときは、違う意味で捕えてないか気を付けましょう、です。
「その2以降は?」
一気に書く気力が無いので次回とかに?
「エタるわね。」
えーっと、一応予定では
・省略による何か~質問、復唱、確認のすすめ~
・意見?議論?長い話を聞くときの注意点―突っ込み禁止令―
とか喋るつもり?
[0回]
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