「あまり悲観的なのも問題ですから、今回はある程度肯定的に……多少なりとも意義を見出す方向性で考えてみるわ。否定的なのは読みたかったら過去の分が同一カテゴリにあるのでを探してくださいませ。」
出だしがすでに否定的な気がするけど……
「前回の主張をまとめると、
・やる気のない子を行かせるのは効果が低すぎて費用対効果が悪すぎる
・できる子を行かせるのは、自分で勝手にやらせたほうが費用対効果が高い
・塾がそもそも高いので、塾に払う金額で子供のやる気を釣れるなら、(勉強のやり方だけ教えれば)そちらのほうがよい。
・問題の傾向なんかがある、特定の学校に絞った対策で直前講習を数か月やるなら効果が望めるかしら…?
こんな感じね。」
せんせー、自分に都合のいいようにまとめすぎだとおもいまーす!
「意見は黙殺します。
なお、三つ目に対してだけど……『勉強のやり方を教えさせるために塾に通わせるのだ』という反論が考えられるわ。けれど、私はその意見には懐疑的なの。」
ん?『普段はやんないけど塾ならやるから通わせる』って普通じゃないの?
「それは『やる気がないけどできる』パターンよ。それはそれで忌々しき状態なのだけれど……今言っているのは、『やる気はある(出させられた)けれど、勉強のしかたが分かってない』パターンね。」
「場所にもよるとは思うのだけれど……確かに、塾でノートの取り方なんかを指導したりはするわ。でも、基本的に塾はカリキュラムにしたがって、『講義』をする場所なの。『分かりにくいところ』を説明してくれたりはするけれど、それは勉強の仕方自体ではないの。」
「つまりね、結局、塾に行って大きな効果があるのは、『どこが分かっていないのか指摘してもらう』か『分かってないORわかりにくいところを(もう一度)説明してもらう』ときが主になって、勉強の仕方…つまり、『どこが分かっていないか考える』『自分ができていないところを補強する』っていうのは最終的に自分でやらないといけないし、そもそも講義を受けたって、学んだことを考える…つまり『復習』を結局は自分でしないと意味がないの。大体、やり方なんて一度教われば十分だし(毎回教わらないとできないことは『やり方』とは言えないわ。)、今挙げた塾で効果がある代物は『学校でできる』わ。(まぁ……よっぽど先生がひどいなら塾の先生に聞くしかないのでしょうけど……)ともかく、『勉強の仕方を学ぶ』ために『毎週塾に長期間通う』のはナンセンスよ。」
え、えーっと?『やりかたって何回も教えるものじゃないよね』ってことでいいの?
「そういうことね。」
っていうか!今回は肯定的なんじゃないのか!
「あぁ、そういえばそうだったわね。」
そういえばじゃないよ……
「じゃあ、今度こそ肯定的に考えていくわね。」
「前回は主に『費用対効果が高いか否か』がメインの話だった(気がする)わ。あと……どうも私は理想的な状況になることを志向しすぎるきらいがあるみたい。だから、今回は『費用度外視、塾に通わせることのみで得られる効果があるか否か』を、兎にも角にも現状に効果が生じるかを念頭に考えてみると……次の二つがぱっと思いつくかしら。」
・ともかく『点が取れればいい』
・後でやる気が出た時のための基礎工事
……前者って、普通じゃないの?
「前者の考えは、なんていうか、ほとんど意味が無いわ。だからそれについてあまり話さなかったのよ。」
意味ってなにさ。テストで点を取るために塾に行くんでしょ?
「じゃあ、どうしてテストで点を取るのよ。」
成績をよくするため。
「何のために成績をよくするの?」
えーっと、後々の……受験とかのため?いい中学高校大学に入るとか。
「そうねぇ、折角塾に行かせるのですもの。いいとこに進学させるためよね。それで、なんのためにいいところに進学させるの?最終目的は?」
・・・・・・就職?
「ええ、(大学の博士課程に進学でもしない限りは)そうよね。もう少し具体的に、理想的には頭脳労働するためよね。」
そうなるのかな。え、でもさ、その『ずのーろーどー』がちゃんとできるようにするために授業とテストがあるんじゃないの?
「ええ、授業はその頭脳労働ができるようにするためで、テストはその進捗状況を確認するためにあるわ……でも、『テストで点を取る方法』では、必ずしも頭脳労働ができるようにならないの。」
(゜-゜)?
「さすがに『100点を取る』は、授業内容が理解できていないと厳しいけれど、『ともかく60点を取る』なら単元を理解していなくてもできる、と言っているの。方法は、『ある問題を解く手順を丸暗記』、もしくは『その問題だけは解ける、汎用性のない解法を使う』といったところかしら。」
(/ロ゜)/??
「えっと……基礎はできるけど応用はできない、ってやつの原因の一つよ。つまり理解してないOR全く違う解き方をしている、なの。解けているから、点数はもらえるけど、あとで何の役には立たないわ。例を挙げるとするなら、方程式の問題で方程式を使わずに図を描いて解く、とかかしら。」
結局何に困るん???
「この方法で済ませ続けると、最終的に大学の講義が全く分からなくなるわ。そうでなくてもまともな二次試験は手が出ないでしょうし、下手したらセンター試験も怪しいわね。そもそも、高校で躓くんじゃないかしら。高校になると、授業展開が早くなって、場当たり的な……理解をしていない学習方法だと追い付けなくなるとおもうわ。」
でも、点は取れるんでしょ?取れないよりいいんじゃないの?
「まぁ、結局はそこね。後でその分野が手も足も出なくなる可能性があるけれど、それでもいいなら。というところよ。苦手科目だけれど進学後はほぼ使わなくて、内申点のために少しでも成績が欲しいだとか、兎にも角にもある場所に入学する必要がある(入学後はどうとでもなる)とかね。そういう場合ならアリなんじゃないかしら。」
なんか、悠が難しく考えすぎな気がするけど……成績上げるために行ってんだから、とりあえず成績上げればいいんじゃないの?
「どうかしら。そこらへんが、時々親御さんもわかっていない気がするのよね。何のために子供を塾に通わせたいのかしら。多少旧時代的な言い方だけれど、『いい大学に行かせるため』なら少なくとも二次試験かセンター試験くらいは見据えて考えるべきだと思うわ。中学、高校に入ったら終わりじゃないし。」
……ねぇ、どこが肯定的なの?
「あら、ちゃんと『そういう場合ならアリ』と言ったわよ。」
ナニソレ微妙。
で、後者の『後でやる気が出た時の基礎工事』っていうのは?
「そのままよ。前述のとおり『やる気が無いなら通わせても非効率』ですけれど、たとえば高校に入って一念発起した場合、もしかしたら小中学校で塾に行っていると、多少はマシかもしれない、という意味ね。」
ほんとに肯定的に考える気、ある?なんかけなしてるようにうちには聞こえるけど。
「そうは言っても、ねぇ。そもそも私のスタンスは『本人に多少なりともやる気があるなら、自力でやらせればいい』だし『頭いいなら行く必要が薄いしあとから自力でなんとかなる』ですから。あ、念のため言っとくと『自分が頭いいと思ってるやる気のないやつ』は論外よ。後からでも自力でなんとかなるのはやる気出さなくても80点くらいをコンスタントにとれる頭おかしいやつくらいだから。」
悠、話がずれてる予感がする。
「えっと。そう、つまり、『塾(特に個別かしら?)に行っている間は20分に1問程度であろうと一応は問題を解き進めるはずだから、計算力のスズメの涙程度の足しにはなるんじゃないかしら?』ってことよ。」
……あんた、肯定的に考える気ないだろ!セリフからやる気のなさがにじみ出てるよ!?
「別に基礎力つけるために塾に行かせるって言ってもねぇ。結局はやる気の問題だし。単純に、『計算力と読解力はあとからつけようとしたら大変だから、多少なりとも塾で強制的にやらせれば、後々やる気が出た時に役立つ』って言おうとしたのだけれど、言えば強制的にやるなら、塾に行かせる必要がないし、計算させるだけなら物で釣ったほうが安上がりよね。本は読まない子はそうそう読まないわよ。議論終了。」
・・・・・・・え。今ので説明終わり?結局最後まで肯定的な考えは無し??
「一応、今のも十分肯定的なつもりなのですけど。言い方に棘があるのは、私が塾…塾産業嫌いだからかしらね。」
「+αとしての効果はある程度あるとは思うのよ。まだ考え中だし、やっぱり費用対効果はわるいと思うけれど。まとまったら今度こそ肯定的に書けるかしら。」
[0回]
PR