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【2025/06/07 23:34 】 |
何が考えたいのかようけ解らん
 考えるってことが経験や知識に基づいて形になる自我っぽいものと目の前にあるモノとの差異によって自動的に勝手に行われることだ、っていう予感と確信と朧気な説明と少しの実例があるんだけれど、だとしたら今これを考えている私は一体何のためにこんなことをしているんだ?

「アナタは一体何を言っているのよ。」



 結論と直接は関係しないから説明を省くけれど、私は考えてるんじゃなくって考えさせられているだけなんだよ。

「その……えっと、大丈夫?主に頭とか?」

 私はいたって正常だよ、上の話もちょっと話が長くなるから省いているだけで、あくまで論理的な帰結のはずだ。ともかく、今回はそう言う前提に立って話を続けさせてくれ。

「判ったわ……

 じゃあ、誰に考えさせられているのよ。」

 それは『私』だよ。私は『私』に考えさせられているんだ。

「あのー、私をおちょくってるわけ?禅問答に付き合う気はないわよ?」

 禅問答はもっと深遠なものだよ。や、そういう話じゃなくって。

 思考するための元、『テーマ』みたいなのがあったとして、次に一定の仮定を設けたら、あとの思考は論理的帰結の元自動的に行われるよね。

 で、この時、『一定の仮定』ってやつはなんなのかってことだけど、基本的には自身の経験や知識の集積……自我、『私』のはずだよね。考えている私が私自身であるはずだ。
 
 ただ、思考実験ってものが行えるんだから、同じテーマに基づいても様々な仮定を自分で設定(一時的に上書き)できるよね。つまり、仮定って、取り替え可能な物なんだ。で、この取り替え可能な仮定ってやつも、やっぱり知識の集積なんだよね。

 そうすると、基準となっている『私』って、単に自身の最も大きい知識分野の集積物でしかないんじゃないか?そして、テーマと仮定を決めたら、思考って勝手に動き出すんだよ、じゃあ、そこで、わたしは何をしているんだよ。

「固有名詞的な言葉と抽象的な言葉が多くって、何が言いたいのか判り辛いわね。もう少しなんとかならない?」

 んー、端的に言えば、私の考えることって、(私が自分で考えてるように見えて)今迄の経験やら知識によって一意に誘導されてないか、予定調和をなぞっているだけじゃないか、っていう恐怖みたいなのがあるってことなんだよ。
 
 で、今、誘導って言ったけど、そんな生易しいものじゃなくって、処理されていないだけで結果が確定している行動をとっているだけなんじゃないか、私の思考に私が関与できていることなんてなくって、私の思考は過去の経験に依ってひたすらに自動的に動いているだけなんじゃないかって思うんだ。

「自由意思で考えてるのでなく、知識に思考が誘導されているって言いたいの?

 ええと、仮にそうだとして、私にはアナタが何を怖がっているのか判らないわ。それって単に、そういうものなんだってだけの話じゃないの?思考が経験に依存するってこと、なんていうか、普通の話じゃない?」

 うん、普通だよ、普通なんだけど、問題なのは、今、私の実感として、『考えさせられている』って認識があるってことなんだよ。そういうものかどうかでなくって、そういう認識が今現在、確固として私の中に存在するってことが問題なんだ。

 そして、私は、この思考そのものとその方向を決定付けるものが私の人格……自我そのものだと、今までは思っていたんだよ。でも、それが自動的に行われているとしたら、じゃあ私ってなんなんだ?

「気にする必要も気にする意味も無いことを気にしている気がするわ。文法的なバグっぽいわよ、その思考。」

 あーうん、そうだね。
 
 ただ、この際私がどこに居るのかを問題にしないとしてもだ。私が、私の持つ衝動と嗜好が単なる知識と経験の塊でも問題ないとしてもだ。
 
 ここまでの話は、最初に言った通り『前提』なんだ。

「(えー。何よそれ、今迄の話はなんだったのかしら?
 多分、紬にしてみればそれ単体で重要な話なのでしょうけれど、話の筋がイマイチ見えないわね……。)」
 
 問題は、私の人格というものが……思考する際の仮定となるモノが経験と知識に依る塊だとしたら、それは容易に取り替え可能で、かつ私はそれを取り替えなければならないってことなんだよ。

「また話が飛躍しているわね。アナタの言う前提が正しい保証はないし、取り替え可能であることと取り替えなければならないということは別じゃない。結論ありきの議論に聞こえるわ。」

 そりゃそうだ、結論ありきなんだから。

「はい?」

 今迄は『私を直さなきゃいけない』けれど『自我は簡単には取り替えられない』から『軌道修正の形で直さなきゃいけない』だったんだよ
 それが『自我が容易に取り替えられる可能性がある』から、だったら『根本的に取り替えなきゃいけない』んだよ
 
 すまない、最初に言うべきだったね。今回の話は恐怖を感じた話じゃない、希望を見出した話なんだ。取り替えられないと思ったら、どうも取り替えられそうだって話なんだ。

「ええっと……。

 仮に思考が自動的だとしたら(それはとても恐ろしいことだとアナタは感じるけれど)それを利用して人格そのものを根本的に修正することができるかもしれない、なぜならアナタにとっての人格とは思考と経験に依るモノだから
 
 そんなことを言いたいわけ?」

 あぁ、大体そういうことだ。自分自身と話すと、理解が早くて助かるよ。

「判らないわね、どうして『人格を直す』だなんて無茶で本質的でないことに拘るのかしら。
 何か直したいことがあるなら、まずは、そして結局は、行動で示すしかないのよ?」

 キミが言いたいのは事実としての行動、他者が見るモノとしての自我のことだろう?それはキミの言う通り、行動することでしか直せないし、行動しなきゃいけないさ。それもしなきゃいけないさ。
 
 私が言ってるのは、私が、私の衝動が、私の感情が既に詰んでるって話なんだよ!
 放置しておくと間違ったことを自動的にするんだよ!そして私はそれを私の自由意思そのものだと思っているから、私は私としてそれを修正することができないんだ、私にとってそれは大事な物にしか思えないんだ!
 でも、間違っていることに気が付いてしまったんだよ、ついに見てしまったんだよ、元から詰んでいるって判ってしまったんだよ。
 これを後付で修正しようにも、それって0点の答案用紙に赤で模範解答を上から書いているだけのことなんだよ。幾ら正しい修正の仕方を身に着けても、それはあくまで修正しているだけのことなんだ。私はあくまで自動的に間違った答えを嬉々として書き続けるんだよ……。

「詰んでるだとかなんだとか、断定的な表現が多いわね。つまり悪い方に感傷的になってるってことよ、自覚してる?」

 自覚はしているよ、何でもない方法で少しずつ直せることなのかもしれないよ、そんなに大げさなことじゃないかもしれないよ。ただ……全ての人が、こんなに、自身の行動がおかしいっていう苦みを感じているだなんて、信じられないんだよ。

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【2012/10/11 23:21 】 | つ~つ~つ~ | 有り難いご意見(0)
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