◇ ◇ ◇ ◇
紬「そう……私はブログを、日記を書くものだと思っていたし、だからここには日記を書いていたつもりだったんだよ。」
悠「日記を書いていたつもりも何も……これは日記よね。日記というものは日々のこととか思ったこととかを書くものであって、ここに書かれていることは日々のこととか思ったことくらいなのだから、これは日記でしょうが。」
紬「ああ、確かにこれは定義上日記のはずなんだけど……ブログに掲載されることを求められている日記ってやつは、もっと見せることを意識した、パフォーマティブなものなんじゃないかって恐れに駆られてね。」
悠(何を今更なことを言っているのかしら。それくらいは理解したうえで、敢えて自分以外が読んでも意味の掴みにくい文を書いているのではなかったのかしら。)
紬「ブログの更新って、例えばツイッターとかで、積極的に報告するものだよね。報告して、アクセスアップにつなげたい物のはずだよね。」
紬「けど、ここの記事を更新した事実を私は(能動的には)どこにも報告したくない――っていうか、うん、他人に読んでもらおうって意図で書いてなかったからね。まず報告なんてできねーわ。」
悠(だったら、なぜブログなんて始めたのかしらね?ま、そこに関しては、判ったうえで考えないことにしているのでしょうけれど。)
悠「そこまで理解したのなら、次に考えるべきは『他人に読んでもらう記事とはどういうモノか』よね。もしかして、今回から鍵括弧の前についている名前も、それを意識してのことなのかしら?」
紬「鍵括弧と名前は別の意図に依るものなのだけれど……まぁ、それは置いとくにしてだ。そう、『他人に読んでもらう記事とはどういうモノか』を考えようとしたわけさ。」
紬「その時に、他人が読みたい記事がなんなのかを考えるときに、自分がどんなものを読みたいかについて考えるのは妥当な手法の一つだよね。だから、自分がどんな日記を読みたいかについて考えてみたのだけれど――」
悠(……一般的に妥当な手法かどうかの議論は置いておくにして、今回の状況に限って言えば不適当な手法ね。)
悠(紬にとって、今回の問題の発端は『記事の更新を報告したいと思えない』という点にあるはず。
だから、考えるべきなのは『積極的に報告したいと思える記事とは、どういうモノか』ということで、自身の視点から考えることに拘るにしても『自分がどんな記事を報告したいのか』について考えるべきなはずよ。)
悠(ついでに言うなら、『どんな日記を読みたいか』という文章にも論点のごまかしを感じるわね。)
悠(先刻、態々【ブログに掲載することを意図した日記】と『いわゆる日記』は違うモノだって確認したばかり。それなのに、あえて単純な『日記』という言葉で議論を開始してしまうのは……いつのまにかブログとは関係のない、『いわゆる日記』の議論に陥りやすくなる危険を孕んでいるし、敢えてその議論に陥るようにしていると見做されても文句は言えないわよね。)
悠(というわけで、以上の予測を念頭に置いた上で話を聞くことにするわ。)
紬「自分が読みたい日記を考えたら、私が読みたい他人の日記っていうのは――正にこんな感じの、自分の考えていることはどういうことなのかを考える日記なんだよね。」
紬「やっぱり私は、他人が何を考えているのかを――それも単なる考えたことの結果じゃなくって、いかにしてそれを考えたのか、そして、なぜそれを考えたのかという背景を知りたいんだよ。」
悠(やはり『日記』という言葉の意味を、非常に広く使っているわね。紬の言っている『日記』は、もはや日記というより『自己分析』だとか『自叙』だと言った方がいいものだわ。)
悠(他にも……さっきはスルーしたけれど、自身が普通の感性を持っているとの高い自負があるとき以外は、他人の求めるモノを推測するのに自分の求めるモノを利用するのは非常に危険なことだわ。普通は他人の自己分析だなんてモノはウザったくて、聞いてなんていられないわよ。)
紬「そんなわけで、何も変わらないって、私のやりたかったことは私がやりたいようにできているっていう結論が出たんだけど。どうすればいいんだろう。」
悠「今書いているものが自身の求めているものだというのは――もっと文章を読みやすくする工夫なんかは心がけなくちゃいけないけれど――別にそれでいいんじゃないかしら。自分が読みたい物を書くというのは、自分が読みたいものと同じものを読みたいと思う他人が(どこかにそんな物好きが一人くらいは)居るはずだと仮定するいうことは別に個人の自由であって、勝手にやってればいいことよ。」
悠「ただ、コンテンツの一部としてそれをやることは構わないと思うけれども、全てがそうなってしまっている現状――これはいただけないわね。」
悠「何故駄目か、は判るわよね?アナタ自身が『ここの記事は、どこにも報告したくない』と言っていたのだから。だから、アナタが考えなければいけないのは、『何が読みたいか』ではなくて『何なら報告したいと思えるか』なのよ。OK?」
紬「うん、そうだね。意図通りに記事が書かれていることが確認できたからと言って、『記事を報告したいと思えない』という問題自体をなかったことにはできないのだものね。」
悠「判ればよろしい。」
紬「ただ……話が最初に戻るけど(っていうか今までの議論が寄り道だったってことなんだろうけど)、『報告したいと思える記事』ってなんなんだろ。」
悠「少なくとも人に読ませることを意識した内容と、文章が必要よね。例えばもっと普通の日記(日々の『出来事』の記録)を増やすだとか、この会話文の文体をなんとかするとか。」
紬「日記を増やすのはともかくとして……会話文じゃ、だめ?」
悠「手法としての会話文体を工夫して使うこと自体は続けてもいいかもしれないけれど……今みたいな、着地点を決めずにただ会話しているだけの状態っていうのは、アナタのやりたい『日記』の中だけでやった方がいいんじゃないかしらね。」
悠「報告したいと思える記事を書くには報告されている記事を参考にするのが最も手早い方法だけれど、報告されている記事で会話文を使っているものは多くないはずよ。だから、出来る限り一人称の文に……石花の一人称にしないにしても、私かアナタの一人称の文にした方がいいんじゃないかしらね。」
紬(考えているままに書くだけでよかったから、このやり方は楽で良かったんだけどな。残念。)
紬「んじゃ、『考えてることを書く日記』はこのやり方でやって、あとは普通の日記を私が一人称で書いてくというのが今後のスタンスってことかな。」
紬「でも、それだけじゃまだ何か足りないような気がするんだけど。ごく普通の日記をごく普通に報告するわけ?」
悠「ごく普通の日記でも、面白いことを書いている人は結構いるわよ。まぁ、それでも物足りないのだったらそれこそ、真面目に何かのレビューでもすればいいんじゃないかしらね。」
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悠「ところで……この記事の内容から逆算して考えた時、この記事に存在価値はあるのかしら?」
紬「あぁ、これは『考えてることを書く日記』だから大丈夫さ。途中で言ったろ、『単なる考えたことの結果じゃなくって、いかにしてそれを考えたのか』が知りたいって。この記事自体はそっちの考えで書かれたものだから――分かり易く説明することなんかを目的としているんじゃなくて、私が思考した順番で思考した内容を書いているモノだから、問題ないはずだよ。」
悠(この言い回しの判りにくさも、早めになんとかしなきゃいけない課題よねぇ。)
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